地続きの自分の蓋を外したら(みずえ→なおさん)

なおさん、こんばんは。

今更ながら、なおさんの影響力におののいています。ひょえ〜

ほぼ何にも考えてなかった、万事がこんな感じの私ですが、大丈夫でしょうか。。

でも、なおさんの紡ぐ言葉に惹かれているのは本当で、直でお返事頂けることを光栄に思っています。

できる限り鋭意精進しますので、これを読んでいる皆様も、いろいろ至らないと思いますが、ご容赦ください。

 

私の職業はグラフィック・デザイナーです。

ロゴを考えたり、写真やイラストを加工したりレイアウトしたりしてデザインすることが好きで、「仕事」は長い間、私の核でした。

20代は誇張ではなく24時間、仕事のことを考えて生活していました。

結婚して妻になり、嫁になり、子供を産んで母になり、「〇〇ちゃんママ」と呼ばれるようになっても、どんな小さな仕事も引き受け、徹夜しても熱を出しても、しがみついてやってきました。

仕事をしている自分は、何の役目も肩書きもない本来の自分でいられたからです。

配られた名札を素直につけようとせず、周囲と合わそうともしない存在は不協和音でしかなく、目障りだったのだろうと、今なら幼稚園ママたちの白い目も理解できます。

でも、当時は沈黙してさえいれば集団に溶け込めると思っていました。

周囲を全く見ずに、自分のことしか考えていなかったことがわかります。

それは、まぁ爪弾きにされますね。

それでもなんとか仕事を続けることで自分を保ってきたのですが、仕事に自分を反映すればするほど辛くなり、段々つまづくことが多くなりました。

ただ仕事をしてさえいれば充実して満足だったのに。

この仕事をやる意義はあるのだろうか、と考え始めたら、本当にやりたいことなのかどうかさえ分からなくなってしまったのです。

そうなるともう、体に拒否反応が出て、手が動かなくなってしまい、仕事を辞めるしかなくなっていました。

ちょうどその頃、コロナ禍に入り、自宅待機が推奨されて、私は周りの雑音に惑わされることなく、仕事をしていなくとも自分でいられる環境を手に入れました。

そしてコロナが明けて日常が戻ってきた時には、意に沿わない仕事を無理にこなして自尊感情を貶めるよりは、無理のない自分でいられる日常の方が大切になっていました。

仕事の充足感よりも、毎日の生活の中で、自分の中にある感情や感受性を高めてくれることに焦点を当てたいと感じるようになったのです。

だってもう人生半分過ぎてしまったのです。

無駄なことに時間を使いたくない、という思いが強くあります。

それは、今流行りのタイパと意味合いは真逆です。

自分と自分が大切にしたい人のためにしか時間を使いたくなくて、思いっきり贅をつくし、余裕を持って楽しく過ごしたい。

そのための準備や努力は頑張るし、義務には励み、目標には近づこうと思うのですが、その場しのぎの平和を維持するためだけに自分の労力を使いたくない。

しかし、こうしてみると私は徹底的に利己的なんだなぁと思います。

自分大事のあまり、世間に対して傍観者になりがちな自分が、時に人の気に触るのが私の「灰色の天然」の理由のように思います。

 

なおさんの住む湘南は、海があってサーフィンに勤しむ大人がいて、面白そうな個人商店や文化活動があることが、街に活気を与えてくれるのですね。

本気で遊んでいる大人が多い方が、子供も楽しい未来や夢を見ることができますしね。

うーーむ、やっぱり私が住むこの街は居心地があまり良くないんですよね、こんなに長く住んでいるのに、街に情が湧かないのです。

ユニークなお店とかカフェのような、楽しい気分になれるような場所がほとんどなく、あるのはショッピングセンターとフランチャイズチェーンのファストフードのお店で、それで事足りてしまうのです。

移住したいな、といつもどこかで考えているのですが、東京に仕事の需要がある限り、ここ以上に便利な街はないだろうとも思います。

ほとんど外に出ずに、仕事も買い物も遊びも済んでしまうので、引っ越す意味も感じず、今日まできました。

それでも少しづつ、私の興味関心が、ここでも東京でもネットの中でもなく、違う場所へ向かっていきつつあるのを感じています。

 

生まれてから今までの地続きの自分を、どこかで変えたいと思ってきました。

変えたいと言いつつも、私は表面的な自分の在り方にこだわって、他者との関わりで自分を変えてゆこうという発想がありませんでした。

だから、自ら場を作って、人を集めて、対話を始めているなおさんは、ものすごく勇気がある人だと尊敬します。

今、本当のことを話せる場所って、ネットにもリアルにもそうありませんよね。

口当たりの良いことばかり話して、予定調和で終わることを誰もが期待しているように思います。

なおさんが対話の会をを始めようとするにあたって、どんなきっかけがあったのでしょうか。

どんな人たちとどんな対話を想定しているのかも気になります。

私は他者が怖くて、集団と対峙する場合は逃げることしか考えて来なかったので、今一度、聞いてみたいです。