若い頃の自分、旅、コロナ後の心境など(なお→みずえさん)

みずえさん

 

こんにちは。重ねてお返事くださって、ありがとうございます。

共感できることがあまりにいっぱいで、うー分かるなあ〜、こういうことを語れるって嬉しいなあ〜としみじみ喜びながら読ませていただきました。

そして影響力なんてどこ見渡してもないですし、笑、こちらこそが光栄ですので、のんちさんの言われる通り、鋭意精進抜きで、ネットの広大な海の隅っこで気楽に正直に語り合えたらと思います。

私、もう末っ子の授乳もとうに終わったので、最近はもう夕方から缶チューハイを飲み出す暮らしに戻っています。ので、ヘラヘラ飲みながら書いちゃったりもしますので、ひとつよろしくです!

 

 

みずえさんにとっての仕事がかつてどういうものだったか、そしてそのスタンスがパンデミックを通じて変遷していったお話、とても興味深かったです。

自分の好きなことを大学で学び、仕事にしていて素晴らしいなあと思います。

でも、好きなことだからこその苦労や引き裂かれる思いもあるのでしょうね。

 

みずえさんと違って、好きなことを仕事にできなかった、というか好きなことがなかった私の若い頃の話をさせてください。

私は大学は文学部で、就職に関しては何の専門性も生かせず、卒業後は食品メーカーでマーケティングをしていました。

就職の条件は、関西から遠く離れた土地で暮らせる仕事というものでした。

今思えば愚かという他ないんですけど、自分に何が向いているかや、自分が何を欲しているか、表面的な部分を適当にさらっているだけで、実際は何も考えていないに等しかったと思います。

 

小学生の頃から反抗的でシニカルなたちでしたが、子供時代に目の前にぶら下がった人参を追いかける以外の生き方を示してくれる大人にほぼ出会えなかったので、いろんなことが嫌で億劫で仕方なかったけど、既存のレールに従って進むしかないんだ、それ以外の生き方は能力の高い特別な人だけに許されるんだと思っていました。

ずっと私にとって人生は行き当たりばったりのロールプレイングゲームみたいなものでした。

とりあえず〇〇を目指して頑張って、クリアしたら次の扉が開いて〇〇があらわれ、次はそのクリアを目指して頑張る、的な。

今の私は、何かにつけて本質本質って言ってますけど、全く本質的じゃない生き方ですよね。

子供が生まれるまでは、いや生まれてからもしばらくは、相当その日暮らし感強めの人生観だったなと思います。

上の息子が小学校低学年の頃に、思いがけなくまとまったお金が入ってきた!ってなったら、全部放り出してリュック背負ってぱーっと家族4人でメキシコ縦断旅行に行って、お金を使い果たして帰ってるとかしてましたから。

 

でも、みずえさんが仕事を大事にしていた気持ちと共通するものが自分にもあったと思います。

それは「役割から離れた自分であれる場所」を切望する気持ち。

私にとってそれは「旅」だったと思います。

 

成り行きで入社した食品メーカーでしたが、元々が「無」だからこそ、理想と現実のギャップもとりたてて感じることなく、大体のことは「そういうもんか」で呑み込んで順応できてしまったゆえに、20代中盤は、まんまとワーカホリックのスパイラルにはまり込んで行きました。

規則正しい生活や、健康的な食事をすることもめちゃくちゃ怠っていて、気がついたら、おかしくなってることにもあんまり気がつかないくらい身体も心もおかしくなっていました。

ある休日、転勤先のアパートに以前の事務所で一緒だった同期が遊びに来てくれたんですが、駅に迎えに来た私の顔を見てハッと息を呑んで一瞬黙りました。

その夜に浴室の鏡を見て、自分の顔が気持ち悪いくらい吹き出物だらけだったことに初めて気がつきました。

で、急に憑き物が取れたみたいに、あほくさ、もうやめよ。と思ってそれから割とすぐに会社を辞め、アパートを引き払い、適当にリュックに荷物を詰め込み、香港行きの3万円くらいの片道の航空券だけ買ってぷいっと旅に出ました。ほぼ無心で。

 

それから約1年間かけて陸路中心にアジア10カ国を放浪しました。

まさに「何の役目も肩書きもないただの人」として。

鼻先の人参なんてどこにもなくって、二股に分かれた道の前で、どちらにしようかな、と指差しで行き先を決めるようなことさえして、究極的に自由な日々でした。

旅からは、大事なことをたくさん教わりました。

時には嫌なこともあったけど、それを上回る幸福感や開放感がありました。

今となっては貴重な体験だと思います。

NYの9.11の同時多発テロ以降は世界を覆うムードががらりと変わってしまったし、今は円安で海外はどこも高すぎますしね。

 

話戻りますが、私は上の子供たちが小さい頃、旅がしたくてしたくて、誰かの旅行記も苦しくて読めないくらいでした。

当時は旅が好きすぎるからだと思っていましたが、子育て期だったからこそめちゃくちゃ行きたかったのだと思います。

母、妻、嫁の役割に自分がまるごと乗っ取られそうだったから。

ただの自分になりたかった。

だから、夫を説き伏せて衝動的にメキシコに行ってみたはいいものの、家族と一緒だったら、ある面においてはかなり意味がなかったといえます。

旅の最中であれ、妻と母という役割から自由になれないわけですから。

家族としてのスペシャルな思い出もできたけど、「こんなはずではなかった」という思いも残りました。

私にとっては、外国・ひとりであるということが旅の最重要ポイントのようです。

いつかまた、行ける日が来ることを夢見ています。

すっかり脱線しました。自分のことばかり長々書いてすみません。

 

 

ちょうどその頃、コロナ禍に入り、自宅待機が推奨されて、私は周りの雑音に惑わされることなく、仕事をしていなくとも自分でいられる環境を手に入れました。

そしてコロナが明けて日常が戻ってきた時には、意に沿わない仕事を無理にこなして自尊感情を貶めるよりは、無理のない自分でいられる日常の方が大切になっていました。

仕事の充足感よりも、毎日の生活の中で、自分の中にある感情や感受性を高めてくれることに焦点を当てたいと感じるようになったのです。

コロナのステイホームの期間、辛いという声がたくさん聞かれましたが、私もみずえさん同様、どちらかというとあの時期は快適で、幸福を感じられた期間でした。

何かをしたり何かを得て満たされたり幸福になるという価値観から、立ち止まり、何かをやらないことで幸福を得られるという転換は個人のみならず、多分資本主義が行きすぎた社会全体にとっても大きな気付きだったのではないでしょうか。

私も、外的な評価に自尊感情を求めるのではなく、毎日を丁寧に暮らすことで折々の自分の思いをより細やかに感じ、味わうことにフォーカスしたいと今、強く思っています。

最近は、どんな感情であっても自分の内側にわき起こった感情をできるだけじっくり感じ切ってみることを心がけています。

 

みずえさんの興味関心は、住む街でも、東京でも、ネットの中でもない場所に向かっている。

それは「どこか」ではなく、心の奥にあるまだ見ぬ自分自身なのではないかと読んでいて何となく感じました。

そして、私もきっとそうなのだろうと。

 

最近始めたばかりの対話の活動は、みずえさんのおっしゃる通り、自分を変えてゆくというか、ひとつの考えに固執せずできるだけ柔軟でありたいことや、この分断の世の中で、考えの異なる人と心を開いて話をしてみたい(まさに「共生」ですね)こともありますが、やはり自分自身を発見することへの興味は大きいのだろうと思います。

 

どんな対話をしているかについて、(プライベートに関わる内容は書けませんので)どんな問いについて語り合ったかをインスタの投稿(対話の後の振返り)で触れているので、良かったら覗いてみてください。

 

https://www.instagram.com/takibi_dialogue/?hl=ja

 

きっかけについて、ここから書くと更にながーくなってしまうので、お返事2つに分けさせてください。

長島友里枝さんについて書いてくださった分へのお返事も含めて、追って書きますね!

 

 

それでは、ひとまず筆をおきます。

 

2024.2.13. なお