灰色の天然、茅ヶ崎のこと、対話のことなど(なお→瑞恵さん)

瑞恵さん

 

こんにちは!

このところ冷え込みますね。

茅ヶ崎はこの週末、初雪の予報でしたが、どうやらそこまでは寒くならなそうです。


「灰色の天然」への感想をありがとうございました。

娘への励ましや、瑞恵さん自身がどう乗り越えてきたかのお話ありがたく、色々気付かされました。

確かに「灰色性」って、見方を変えれば羅針盤かもしれないですね。

ずっと欠点、負い目と感じてきた要素だったけれど、おかげで人に恵まれ、助けられてもきたじゃないか、と自分を振り返っても思います。

 

つつがないやりとりの範囲では、大抵の人は感じ良く振る舞えるものです。

そこでは、見目よく愛嬌があって感じの良い人が圧倒的に有利でしょう。

でもそこから逸脱した時、例えば失敗して危機に陥ったり、孤立したりした時に、どんな態度を取るかで、その人の本質が見えるとよく言われますよね。

 

そこまで自らハードな状況に陥らずとも、灰色の天然でいることで人は自ずと本質を垣間見せてくれる、だからわりと人を見誤らずに済むかもしれないですね。

それにしても、私は数少ない友達が精鋭揃いなので、私って人を見る目あるわあ〜と自惚れていたのですが、灰色の天然のおかげで、寛容で練れた人のみが残った、というのが実際のところのようです!

それもこれもまあ、結局相性の話ではあるのでしょうが。

 

私が灰色の天然に特に苦しんだ時期は、小学4年生くらいから大学2年生くらいまでと、上の子の小・中学校ママ時代かな。

地域の小・中学校は教師の体罰が激しく、常にびくびくしていたし、中学ではいじめにも遭っていたので、十代はいい思い出が少ないです。

大学に入ってすぐ実家を出て、個性豊かな人たちがいる場所でがむしゃらにバイトして、海外を旅するようになって、ようやく明るい若者ライフを少しは送ることができたかなあと思います。

 

幼稚園ママ時代は、ありがたいことにわりと楽しかったです。

茅ヶ崎は幼稚園は全部私立で、バラエティが豊かです。

そのため、親の価値観に合う園に通う傾向が強く、(我が家は少人数のハードコア泥んこ自主保育系。フリーランス・自営家庭の子が目立って多かったです)幼稚園では気の合う人に何人か出会うことができました。

確かに幼稚園時代は親と子どもが一体となった密接なお付き合いが避けられませんよね。(逆に今、保育園ではお付き合いはほぼなし)

降園後、日が暮れるまでの間、彼らとともに過ごした時間は、子ども二人分で一体何百時間になるだろう?

それを考えると、あの時代に合わない人たちが幅を利かせているという状況というのは、相当しんどいですね!当然子どもは友だちと遊びたがりますしね。

 

小学校以降は、あっさり変わり者扱いになりました。ごくたまに会う人は数人いましたが、いつも社会科見学みたいな気持ちでした。

一皮向けば色んな人がいるのだとは思いますが、母という役割からけして逸脱しない前提なので、人同士として付き合う人はついにできないままでした。

「周囲に迷惑をかけない」「割り切る」が大人の作法みたいになっているような場は、ただ息苦しくて、私は長く居続けることができません。

 

瑞恵さんは粛々とアウェイをやり過ごす、関係性は極力一対一にする、という作戦だったのですね。

複数を避けるのは、実に賢明な作戦です。一対一だと良い人なのに、複数になるとあっさり多数派について裏切る人っていますよね・・・・(思い出しムカムカ)。

いくつかの呆気に取られた思い出が蘇ります。


ただ、私はそういう目に遭うたび、切り捨てられたように長らく思ってきたのですが、これって私に対する感情どうこうというよりは、優先順位の問題なのかなと最近思うようになりました。

日本には「世間」という独特の概念があって、一対一(個人)と、特定の群れ(世間)と、その外側にある匿名性の世界(社会)で、それぞれ境界線が引かれている。

つまり、今、自分の立ち位置がどこにあるかによって、判断が変わるのは当然で、それをごく普通のことだと考える人たちが少なからずいるということです。

 

そういう人々にとって最も配慮すべきは漠然とした「世間」。個人として認識されている、メンバーの一人としてその時々に所属している群れ。

子供の頃は学校や部活であり、卒業後は会社であり、子育て期間中は子供の属する組織や地域社会というふうにライフステージに応じてスライドしていきます。

「個人」は一対一で会う時は親身になるけれど、家族や親友のような存在は別として、たいてい世間よりは優先順位は低い。

世間の外側にある「社会」は、すごーく遠くにある自分とは関係がないもので、自分ごととは捉えない。

そう考えると、日本人の多くが社会や政治のことに無関心で、時に冷淡なことの説明がつきます。


そう考えると、私は世間であれ社会であれ「場が何を求めているか」より、個人としての自分がどう考えるかを常に考えている気がします。

家族以外では、相手が親しくてもそうでなくてもあまり変わらないし、好きな人たちへのリスペクトや愛情は示しますが、おしなべて他人行儀っぽく思われがちです。

皆が微妙な空気を読み合っているような場での正解なんてのは、灰色の天然にとってはあまりに難解すぎて、どうしたって的外れなんです。

不器用だから、基本的に全員に礼儀正しくして、誰かを嫌な思いにさせることを回避する、という基本姿勢なんだと思います。

 

結果的に「世間」的な状況からは距離を置き、自分をどこかに固定化せず、単独行動中心の生き方になっていく。

きっと、私は一生そんな感じなんでしょうね。

 

 

私は戸田市には行ったことがないのですが、独身時代に和光市に住んでいたことがあるので、東京に近い埼玉の都市の感じは少しは分かります。

瑞恵さんの戸田市の描写、すごく的確で、和光市時代の街の風景がぶわっと目に浮かびました。

これに限らず、瑞恵さんの文章はいつも視覚的でディテールが鮮やかだと感じます。

随分前ですが、瑞恵さんのブログでの夢の話や、化学薬品会社の話などは、鳥肌が立つほど鮮明で、特に忘れがたいです。

 

同じようにはとても伝えられませんが、ちょっと解説すると、私が住んでいるのは茅ヶ崎と辻堂の境目で、海から自転車で10分くらいの位置にあります。

建売住宅が隙間なく立ち並び、街中に公園や緑は少なく、自然は海と砂防林の松くらい。(内陸は畑などもあってもっとのどかです)

でも、平坦で自転車でどこまでも行くことができ、おしゃれで面白い個人店が色々あって、海の空気も吹き抜けているせいか、それほど閉塞感は感じません。

茅ヶ崎に限らず、湘南(葉山から二宮あたりにかけての相模湾沿いの海辺のエリア)は、やはりサーフィン文化が色濃いです。

うちの夫もそうですが、こんな寒い季節も含めて波さえ良ければ一年中、サーフボードを自転車ラックに積んで海へ向かう、冬ならウェットスーツ、夏なら上半身裸の成年男性が平日昼間でも普通に見られます。

私がこれまで暮らしてきたどの町でも、平日昼間に老人以外の大人男性がこんなにもうろうろしてる町はなかったから、全国的には珍しい風景なんだろうと思います。

彼らは自分のことを棚に上げて、お互いに「なんでこんな平日の日中にサーフィン出来るのか謎だ」と言い合っています。

ビーサン率はかなり高く、私も暖かい季節はほぼ「ミサトっ子草履」で通しています。

近年は、とにかく東京からの移住者が増えています。

3歳の末っ子を公園で遊ばせている時に言葉を交わす若いパパママは大抵、最近都内から越してきましたー、と言います。

コロナ後は彼らをターゲットにしたタワマンや高層マンションがどんどん増えて、町の風景が変わっていくのを少し寂しく眺めています。

 

対して鎌倉や葉山は、お察しの通り文化度高いです。シックで落ち着いた印象です。

自分たちで教育機関を立ち上げるような意識の高い子育て世代も多いです。

「クセが強い文化系」は、鎌倉に限らず、湘南界隈は多めかもしれません。私もそのひとりだと思いますし、、、

合う合わないはあるけど、面白い人は多いので、きっと瑞恵さんは湘南は肌に合うと思います。

 

 

話変わりますが、お手紙の最後にあった「自分の一体感を生活とは別に考えるときが来たようです」という言葉にどきりとしました。

そのように思った何かきっかけなどあったのでしょうか。

確かに個性を前面に出して生きると色々生きづらい面もありますが、社会生活の中では、自分の個性やクリエイティビティは、極力抑えたり、隠したりする方がいいのか。

自分のやりたいようにやることと、家族をはじめとした周囲の人々との軋轢については、私もなかなか答えが出ません。

世の中では、自分を解放して自分らしく生きろ、というメッセージと同時に、自分さえ良ければいいのか、エゴだ、という責めもあって、じゃあどうすればいいのと思う自分がいます。

 

紫原明子さんの作品は未読なんですが、そんな面白そうな会をされている方とは知りませんでした。

「もぐらの会」、ググってみましたが、こぢんまりとしたサイズ感も居心地良さそうでいいですね!

紫原さんがオンラインサロンでやろうとされていることと似たことを、私は対話でやろうとしてるかもしれない、とちょっと感じました。

 

昨日は対話の日だったのですが、場にいる他者を鏡としつつ、思いをなんとか伝えるために自分自身を掘り、形にならない感情を言語化しようとするプロセスが、いろんな人に起こるといいなという思いがあります。

私自身が言語化することで、生きがたさから救われてきたから。

もぐらの会にも、ちょっと似たニュアンスを勝手ながら感じます。

加えて、直接会って互いの身体をさらして対話することは、言語以外の感性も自分の内側にあるものに気付くきっかけとしてはたらくことを、昨日の参加者さんに教えていただきました。

関わってくれる人がおのずと可能性を広げてくれるから、自分は気負わずただ場をしつらえればいいのかなと思っています。

 

とはいえ、必要な人に対話の場を開いていることをどう届ければいいかが目下の課題ではあります。

自分にはもったいないような素敵な場所と機会を与えてもらっているのに、毎回人が集まるかやきもきしたり、緊張することも苦手で。

SNSに記事をあげるのも半日がかりになっちゃうし、直前キャンセルが相次ぐと、なんかズーンと落ち込みます。

場のホストの立場になった経験が少ないので、場を主催するってこういう気持ちと付き合っていくことなんだなあとこの歳になって初めて知りました。

色々軽やかに企画運営とかやっている人たちは、みんなすごいなあって。

 

 

長々と書きすぎたので、そろそろ終わりにします。

良かったら「自分の一体感を生活とは別に考える」ということについて、次回、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?

瑞恵さんが今、母や妻としての役割や、自身の「仕事」をどう考えているかも同世代としてすごく興味あります。

最初にこの往復書簡のテーマとして挙がった「女の生き方と愛」に繋がっていくといいな〜という思いもこめて。

 

それでは、また。

長文体質でごめんなさい!次回からはもっと短くします。

同じだけ返そうと気遣わないでくださいね。

どうか時間のあるときに、無理なくで。

まだまだ寒いので、免疫力高めてこの冬を元気に乗り切りましょうね!

 

2024.1.19. なお