なおさん
順番を無視してイレギュラーにお手紙を差し込んでしまい、大変申し訳ありません。
そして、それを許してくださってありがとうございます。
「ははとははの往復書簡」を私も遅まきながら読みました。
長島有里枝さんは同世代で同じ大学だったので、とても親近感がありました。
(といっても面識はないのですが)
蜷川実花さんやHIROMIXさん、木村伊兵衛賞3人同時受賞だったこともあって「ガーリーフォト」として、当時よく取り上げられていましたね。
でもその後、フェミニズムを学ぶ方向へ舵を切っていたことなど、全然知りませんでした。一時期姿を見かけなくなったように思っていましたが、子どもを産んで育児をしている時期も私と一緒で、それは見かけなかったというより見逃していたのだと納得したりしました。
こんなweb記事も連載されていたのですね!
とても共感を持って読みました。
先日、文筆家の芳麗さんが蜷川実花さんとの思い出を語ったポッドキャストを聞いたばかりでした。
「蜷川さんと一緒に仕事をした時期に、確信的に野心を隠さないで『私は権力が欲しい』とよく言っていた」
との言葉がとても印象的でした。
父親は有名な蜷川幸雄、母親も有名女優という芸能一家で生まれ育ち、古い体質の残る写真業界では悪目立ちしていたろうと想像に難くないですが
「やりたいことをやるためには権力が必要。自分が切り拓けば、後から来た子達も協力してもっとやりやすくなる。女の子と付属物扱いされているうちは、自由にやることはできない。本当の自由を手にするにはまず、フィールドを手に入れたい。
「女の子写真」と蔑まれながらも、親の七光りだろうが「女の子」扱いだろうが、使えるものは使ってゆく!」
明快な上昇志向が彼女にはあった、という話が印象的でした。
人工的なまでに毒々しい色味に、何者にも屈しない強さ、美しさへの憧れを、彼女の作品から感じることがあります。
写真表現に限らず、次々と具現化し広げていった彼女のバイタリティ、なるほど蜷川実花写真の世界観っぽい!と腑におちました。
先日、虎ノ門ヒルズにいったのですが、エスカレーター前の大型スクリーンにドアップで原色の花束が映し出され、度肝を抜かれました。tokyonode.jp
個展が開催中だったのですね。
すごいなぁ、と迫力に押されながら、往復書簡本の長島さんの活動に関する悩みや愚痴が思い出されて、なんとなく切なくなってしまいました。
でも華々しく豪奢な写真が表現する世界は、私には遠い異国のお祭りのようでした。
同じように「女の子」扱いされて悩み傷ついた長島さんの繊細な感じも、写真から感じられますね。
代表作になったポートレートも印象的で、記憶に残っています。
同じ時期に写真界で脚光を浴びた二人ですが、その後にとったスタンスは対極だなあと、過ぎ去った20年に思いを馳せていました。
ここ最近、「共生」というキーワードに惹かれ、突き動かされています。
資本主義社会が行き詰まっていることを感じながらも、どう生きれば良いかはまだ具現化できていないのが実情ですが、変化は着実に感じます。
何がどう変わったかは言語化が難しいのですが、潮流が明らかに変わっていますよね。
と書きながらも、どうだろう、そういうふうに見たいだけなのかも…と、現状を見ると自信が萎えちゃうのですが。
長島さんの写真からは「共生」が感じられて、なんとなく、こちら側なのではと想像させてくれます。
写真って本当に特殊なメディアですね。
なおさんが時々ブログに載せてくれる写真が好きです。
なおさんも写真を撮るのが好きなのでは、と感じる空気があります。
私自身は写真を撮るのは好きでも、撮られるのは苦手。
それは客体化した自分を突き付けられるのが苦手だからかもしれません。
今様に「盛る」勇気も加工する開き直りも持てず、素の自分にも自信が持てないままで。
でも最近は無様な自分も残しておくのも悪くない、と思えるようになりました。
写真って、撮影者の感情も伝えてくれますね。
シワだらけでくちゃくちゃになりながら笑っている笑顔を撮ってくれた人が、自分を確かに信頼してくれていることがわかる。
もうそれだけで、幸せだなあと満足しちゃうようになりました。
でも、やっぱりもう少し綺麗に見えてもいいかな、なんて。
午後、久しぶりに美容院に行ってこようと思います。
今日は晴れてとても良い天気。
空気がキーンと冷えてとっても静かです。
先日積もった雪が今日のお日様で溶けちゃうかも、と子ども達はヤキモキしているかもしれませんね。
こんな冬の日が、私は一年で一番好きです。
なおさんの住む茅ヶ崎はいかがですか?
では、また!