女のドラマと愛の話(みずえ→なおさん)

秋を通り越して、冬の足音の方が大きく聞こえるような天気が続いていますが、いかがお過ごしですか。

衆議院選挙、アメリカ大統領選、兵庫県知事選挙、と立て続けに選挙があって、どれも何というか、結果に心がついてゆかなくて、口あんぐり呆然としていました。

日本の選挙報道は、あまりにメディアが一辺倒な情報提供に終始していて、肝心な情報はほぼ流れず、自ら能動的に行動しないと分かりませんよね。

いまさら公平性など言っても、もう仕方ないんだろうなと諦めてしまっている…

いや、その態度こそがまずいのでは?!

そうは思っても怒りや憤りの発散先が見つからず、そもそも何に起こっているのかも分からず、振り上げた拳のやりどころに困るような、そんな気分です。

 

私の「物語が好きで翻案が得意なことが政治や法律の面で裏目に出る」は、まさにこの選挙の風潮のことです。

候補者の言動や背景、ドラマの部分に焦点が当たり、肝心の政策やマニフェストがお座なりになっていると感じるのです。

兵庫県知事だった斎藤さんがメディアに叩かれて、「何だか可哀想」とネットで擁護され再選したのを見ると、政治家の実績とか政策が気になる方がおかしいのか?!と首を傾げたくなります。もちろん品格や人格は大事だし、それが根底にある人物でないと、そもそも共通言語が通じないはず、だと思っていたのですが。

不条理コントみたい、と冷めた気分から出られなくて、まいっています。

 

「虎に翼」終了してから、私は現代ドラマを観られなくなってしまいました。

現実の方がよほどドラマティックだと感じてしまうことと、ドラマや映画などのフィクションを見ることが、既得権益を持つものたちの懐を潤し、その階級維持の片棒を担ぐことになると感じたからです。

私は、自分の嗜好がマイナー・少数派で、マスに受け入れられないと思っているけれど、私の苦しみの要因やその背景は、ほとんどの女性達に関係していることであり、個人的好みとは別問題だ、と思うようになっていたのです。

今まで、ドラマや映画で繰り返し見せられてきた価値観、それは既得権益を持つ者達(家父長制度に代表される男性優位、経済優先、資本主義)が、構築してきた自分の世界を守るために発しているものなのだと思うのです。

私は、今の現実が辛いし変えたいと思っているので、迎合するようなストーリーや演出に馴染めないのだとはっきり自覚しました。

一度そういう目で見てしまうと、ドラマの持つ物質主義っぽさ、嘘臭さが目についてしまい、私は地上波や配信のドラマが見られなくなってしまいました。

ひとの生活や人生の重み、楽しみ、苦しみ、和解、そういうものに惹かれてドラマや映画を見るはずなのに、結局商業ベースの見せ物であって、「面白ければ良い」という理由で刺激の強いエピソードや演出を繰り出してゆく方法に我慢できなくなってしまった。

 

でも、だからと言って、ドキュメンタリーを好んで見るかというとそうでもなく。

見たいと思う題材に滅多にお目にかかれないからもあると思うのですが…

生の映像は現実に近すぎて、私には、見るのが辛くなってしまうのでした。

編集ってやっぱり、すごく重要ですね。

発信者のエゴや視点を感じてしまうような映像は、資本主義映画と同じような辛さを感じて苦手に思う私です。

 

それに、本当の意味でのドラマなら、そこらに溢れている。

ブログやSNSで、普通の人達の生の声を聞くことができる。

(ときに誇張したり本音すぎたりはあるにしても)

その方がよっぽどリアルで、共感できるのでした。

 

でも、ひとの人生を垣間見させてもらうことは、デバガメ根性と何が違うのか。

公開している本人が検閲した情報だから、私たちは見て良いとされたものを見てるはずだけど、高みの見物で消費するような気がしてしまい、時々、フィクションを楽しむよりタチが悪い行為のように感じてしまいます。

ああ、だから私はリアリティーショーやドッキリ番組、ドキュメンタリーが苦手なんですね。

 

昨日家族で、映画「ルックバック」を見ました。

私はこの漫画が読み切りでweb発表になったときに読んでいて、絵の綺麗さや、ストーリーが含むテーマの深淵にとっても共感しました。

わざわざアニメに、映画にする意味があるのかなぁ、とちょっと斜めに構えた気分で、ネットに流れてくる絶賛コメントを読んでいたんです。

でも、違ったんですよ!百聞は一見にしかず、です本当に。

アニメ、3Dになった映像は、漫画と何が違ったのかというと「時間の流れ」があるのです。

主人公と友人、二人が出会い、共に過ごす時間を、見ている私たちも擬似体感できるのです。

それは、マンガ、平面ではできない行為です。

2次元の鑑賞物は、今において「過去」を見ているのだ。

私にとって漫画は、アルバムを見るような懐しさがあるのはそういうことか、と気づいたのでした。

そして、この漫画をアニメにしたいんだ、という愛をスクリーンから感じました。

そうだ、最近のドラマや映画には愛が足りないんです。

ドラマの制作者側の主軸が、人を惹きつけてお金を集める目的に変わっちゃっている。

 

そこまで経済にこだわる理由って何なのだろう、と考えると、刺激の強いエンターテインメントを隠れ蓑にしている何かがあるような気がしてしまうのです。

ローマ時代は「パンとサーカス」だけど、現代は「ドラマとスィーツ」なのかな、なんて。

 

「ルックバック」は女の子二人の関係性の物語でしたが、この距離感や取り巻く空気感が本当にリアルでした。

中学生に上がる、という年頃のときに「絵ばっか描いてるとイケてないやつと見なされるよ」とわざわざ忠告してくるクラスメートなど「あるある!」すぎて、ああいう「女子同士の面倒臭さ」って今でも普遍なんですね。

共感するって「普遍」なところなのだと気づきました。

でも、原作の藤本タツキさんは「男性」と公表しているそうです。
今は漫画を描くにあたって、作者一人だけの行為ではなく原作など様々な形態があって、協力スタッフに女性がいることもあるでしょうけれど、この漫画の作者は女性のような気がしました。

 

そうだ、唯一いま見ているドラマがありました。

大河ドラマ「光る君へ」です。なおさんは見ています?

紫式部の頃から、女性作家は、人間関係や細やかな感情表現に長けていたんだなぁ、と言ったら娘にめちゃくちゃ怒られました。

いや、それは優れた男性作家だっているだろう、そうやって決めつける方がバイアスかかってるよ!と。

確かに。迂闊でした、反省。

でも、私の好みもあるけど、女性の方が人間の感情に軸を置いたストーリーを書く傾向があるように思います。

それは、女性が長く虐げられてきた歴史があるからなのと無関係ではないように感じるのですが、どうでしょうね。

私が好きになる作家さんは、ほとんど女性作家です。

映画監督はそこまで好きな人はいないけれど、好きな脚本家はほとんど女性だなぁ。

好きな男性脚本家は、岡田惠和宮藤官九郎坂元裕二…弱者に寄り添ってくれるような話を書く人です。

男性作家で好きな作家は、佐藤さとるルイス・キャロル、 J・W・ルイス、リンドグレーン…全員、子供の頃に読んだファンタジー作家でした。

村上春樹も好きだったのだけど…「1Q84」で逆上して以来、読めていません(笑)

な、なんかここから私の性格をプロファイリングできそうですね。

なおさんは好きな作家さんの傾向ってありますか?

聞いてみたくなりました!

 

ひゃーーまたまた長くなってしまいました。

ではまた。