社会と個人(なお→みずえさん)

みずえさん


みずえさんのあたたかく幅広い視点の「虎に翼」評、とても面白く読ませてもらいました。

定番のライフイベントをさっぱりとスルーし、曖昧にぼやかされがちな本質の部分こそを寅子は逸らさず引き受け、実感の伴う言葉で言語化してくれた。

そこに一番の醍醐味を感じて見てきたなあと私も思います。

 

穂高先生に対する寅子の態度を「大人げない」という批判は、むしろ誉め言葉だと思います。

ここで言う大人って、「とにかく波風を立てるな」という圧に屈しているだけの、権威に従順な「わきまえた人」のことでしかないと思うので。

場の空気に負けず、勇気をもってなぜ自分には納得がいかないのかを毅然と言語化できる寅子の心丈夫さ。

彼女の言葉は、これまで「所詮そういうものなんだ」と無理に認識を歪めて納得させてきた事柄のいびつな構造の化けの皮をはがし、そのたび私たちの目からは鱗がぼろぼろとこぼれ落ちた。

それって本質に気付き、そのことが自分の意識ひいては生き方を変えていく動機になっていく、学ぶことの喜びそのものだなあと思います。

この愕然とするような爽快感を一度味わったら、人はきっともう後戻りはできない。

そういう意味においては、この作品は私たちにとって学校のようなものだったと言えるかもしれませんね。

選択科目は「人権」。

この国の公教育では道徳はあっても人権はほぼ学べないだけに、貴重ですね!

 

みずえさんの文章を読んで改めて気付きましたが、私が後半、作品に物足りなさを感じていたのは、詰めるべきところへの詰めが鈍くなったこともあると思います。

でも確かに、考えてみると無理ないことだったかもしれないなと思いました。

若く血気盛んで、愛情深い大人たちに守られ、失うものも責任もない若き日の寅子は全力で権威に楯突くことができたわけですが、キャリアと年齢を重ねて気がつけば、自分が権威の側にいた。

権威が理想を説けば、下の立場の者たちにすれば当然「お前がやれや」というツッコミ一択になります、かつての寅子がそうだったように。

もちろん、決定権を持つ立場になっても、全部を理想通りに変えられるわけではなく、むしろ板挟みになり歯切れの悪いことになっていかざるを得ない。

そういう世代や立場の違いから生まれるジレンマは、分かりやすい解決のないままに、多少ぎくしゃくしたままに描かれていて、そこから何を感じ、学び取るかは見る者に委ねられていくのでしょう。

 

私はアウトローちゃぶ台返し気質のために、結局あらゆる組織や団体からはぐれて生きる人生になったようなところがあるので、公務員的な立場でものを考えたり、その気苦労を想像したりっていうのは、どうにも理解が及ばないようです。

どうしても権威や社会的強者「ではない」側に強く心を寄せて見てしまうところがあります。

だから、後半の寅子の「寄り添う」とか「更生を信じる」とかいうワードチョイスには結構もやっとしましたね〜。

 

そして、最終回を見終えて、今考えるのは、やはり家父長制をラスボスとする社会の要請からいかに個人が損わなれることなく生きられるのか、ということです。

みずえさんの「誰もが楽に生きられる社会って実現不可能なのか?」と同じですね。

私はここしばらく、家庭内の不和をきっかけに、社会の要請が個人を追い詰め苦しめてしまうことについてぐっと考えこむ日々でした。

その中で「家父長制とはその人のあるべき生き方を性別によって社会が勝手に決めている制度なんだ」という言葉が胸の内から出てきて、少しだけ自分なりにいろんなことが腑に落ちたような気持ちになっています。

前回、花江の描かれ方がしんどかったと書きましたが、彼女は家父長制が求めるものと自分が望む生き方のギャップが比較的少なかった人といえるのかもしれませんね。

洗脳されているのでもない限り、外部や他者に「こうあるべき」と押し付けられた生き方と、自分の望む生き方が完全一致することはない。

だから誰にも辛さはあるけれど、性格や個性や才能の違いから、苦痛や違和感の程度は人によってさまざま違う。

考えてみれば当たり前のことですね。

 

逆に寅子は、社会の要請と自分が望む生き方に大きなギャップがあった。

だから社会と戦って、彼女にとって不本意でない人生を生きようとした。

それができたのは、恵まれた家庭に育ったおかげでくじかれることなく守られた素直で正義感が強く愛らしく共感力の高い寅子生来の気質、そのおかげで周囲の人たちと和やかで協力的な関係を築き、更に努力ができるだけの気力の高さと健康と、努力に見合う学力や本質的な思考ができる賢さにも恵まれた。

完璧とは言わないまでも、いくつもの長所の合わせ技によって、彼女は社会の圧を相当はねのけてきたんだなあと思います。

他の学友たちは誰も彼女のようにはいかなかったのだから。

さながらSASUKEでたった一人完全制覇したチャンピオンみたいですね!

そんな寅子でさえ、戦争に翻弄され、生活に追われ、一度は社会の壁に心を折られ、キャリアがなんとか再開できたのは偶然の巡り合わせや運も大きく関わっていて。

社会的な成功って、不確定要素の大きい人生におけるひとつの結果でしかないことを思います。

 

「虎に翼」には、他にもさまざまな属性を持ったいろんな人たちが出てきました。

彼らの生きざまが私に教えてくれたことは、はたからどんな風に見えようと、社会からの圧を受けていない人はいないし、楽で安穏なだけの人生もない。誰もがその人なりの地獄を必死に生きているということでした。

時代が平和であろうと戦時下であろうと、社会はその時代なりの強制力でもって「社会のためにお前の人生の手綱を渡せ」と個人に迫ってきます。

社会が要請してくる内容は、家父長制のような所与性の強いものから、経済状況などで移ろうものまでさまざまですが、常にいかにも正しそうな顔をして押し付けてきて、あたかも絶対的なルールのような強い強制力を帯びるものになりがちです。

でもその本質は、しょせん社会の強者が自己都合で一方的に決めていることでしかない。

だから、自分の子供たちには、なにかっちゅうと「真に受けんな」と言っていました。

彼らを苦しめたくないからそう言ってきたのですが、自分に言い聞かせていた気もします。


作品中で最も最悪な社会の要請は、「兵隊として戦争に行け」であったことは言うまでもありません。

一旦戦争が始まってしまえば背くことはできないどころか、心に思っていることさえ言えなくなる。

簡単にそうなる。

バンザーイ、と言って行きたくもない殺し合いに行かされて、寅子の夫も兄もあっという間に死んでしまった。

「社会の要請とどう対峙し、それにどう対処していくのか」という命題から私たちの誰も逃れることはできない。

戦前、戦中、戦後という目まぐるしい時代を生きていく作中の人たちを見ながらしみじみとそう感じました。

明日は我が身という切迫した気持ちも感じながら。

 

最終週の美佐江(美雪)と寅子との対決にも、同じことを思いました。

美佐江もまた社会からの要請をひしひしと誰より真に受け、それに苦しめられた人だったと。

すでに長くなっていて申し訳ないんですが、前回の流れで美佐江について感じたことを少し書かせてください。


美佐江は、「自分は特別な存在で、全てが自分の思う通りだったのに、都会に出てからは取るに足らない自分に気付かされて大きく挫折した」と手帳に綴っていました。

では新潟にいた時のあの状態を、果たして幸福だったといえるのだろうか。

私には、美佐江は一貫して勝者のいないゲームに勝とうとがむしゃらになっていた人だったように見えます。

 

美佐江は、そして美雪も、特別な存在であるということに強くこだわり、どこにでもいる、ありきたりを激しく忌み嫌う。

「特別」って一体どういうことだろう。

美佐江の手紙で奇妙に思えるのは「身ごもれば特別な何かになれるかと期待したが無駄だった」という一文です。

妊娠出産は確かにその人の人生にとってとても大きいことですが、多くの成人女性が一般的に経験することでもあり、それをもって他人とは違う特別な存在になると考えることは一見辻褄が合わないように思えます。

でも同時に、私は美佐江の感じ方が少し分かる気もします。

つまり、彼女にとっての「特別」とは、他とは異なり目立っているという本来の意味よりは、「自分の存在を他者に最優先され、全肯定される」という状態を指すのだろうと思います。

逆に、どこにでもいる、ありきたりというのは「他者にとって交換可能な、それゆえ不安定な存在」ということになるのでしょう。

 


私は、かつて身ごもった時に、私は大事にされるべき存在だ、と初めて感じられたし、出産後、赤子を前に私は何としても死んではいけない必要な存在なんだ、とやはり初めて感じました。

基本ラインとしては、自分のことをそうは思えないんだと思います。

その重さに戸惑うような、幸福なような複雑な思いを今も覚えています。

私は、我が子という問答無用の存在によって「自分は生きていていいんだ」と全肯定されてすごく安定した期間がありました。(子供は独立した一個人であるという当たり前のことにほどなく気付いていくわけですが。)

でも、美佐江はそれだけでは満たされないものを抱えた人だったんだろうと思います。

誰よりも秀でた賢さや容姿の良さやカリスマを持つと周囲に認められてきた、それと同等の高い自己評価を母になったことで取り返すことは残念ながらできなかった。

 

特別な私でなくなることが、どうして美佐江にとって死を意味するのか?

それは特別でなくなることが、彼女の存在を根本からおびやかすことと直結していたからではないだろうか。

誰もが目を留める特別な人であることによって、無視や排除の心配はなくなり、誰より優先される。

特別であることで彼女はようやく安心することができる。

本当は「全てが私の思うまま」どころか、常に相手を支配し操っておかねばならないほどに不安が強く、他者に対する信頼感もない。

それゆえ彼女は特別な者として他者の上に君臨している以外の自分をうまく受け入れることができなかったのではないか。

 

手帳の最後のページに残されていた言葉は「あの人を拒まなければ何か変わったのか?あの人は私を特別にしてくれたのだろうか?」というものでした。

美佐江は、ついに最後まで自分の価値を他者に委ねていたのだと思いました。

でも、承認欲求に依存する生き方において、どれほど血が滲むような努力を重ねようと、どれほどたくさんの人間を虜にしようと、興奮や高揚はあっても本当の幸福感や安らぎは得られないのだろうと思います。

 

高学歴、社会的地位、経済的裕福さ、若々しく美しい容姿、恵まれた才能、社交的で誰にも愛されること、やりがいのある仕事、誰もがうらやむ恋人やパートナー。

こうしたわかりやすいスペックを持っていることが幸福で充実した人生だと規定する資本主義の価値観がある。

その中で常に更なる高みを目指せという社会のプレッシャーを私たちは常に受け続ける。

それは永遠に競わされるだけで勝者のいないゲームでしかないのに、いつの間にか取り込まれていて、気付けば死に物狂いになり、負ければ死ぬしかないとまで思い詰めることにまでなってしまう。

 

美佐江は、資本主義、達成主義社会の中で人が生きることの困難や歪みを、ある種象徴しているような存在だったと思います。

彼女は、自分をかしずかせようとするものたちを手玉にとって出し抜くことでゲームを勝ち抜けようとした。

それが彼女なりの社会の要請との戦い方だった。

でも結局、美佐江は、「手のひらで転がすはずが、知らぬまに転がされ」、自ら死を選ぶことになった。

社会の要請をあまりに真に受けると、人生は破綻し、死ぬしかなくなるのかもしれません。美佐江とは対極的な存在ですが、やはり社会の要請にどこまでも忠実であろうとした花岡も死んでしまいましたよね。

 

美雪への言葉で寅子自身が吐露していた通り、死んでしまった人の本当のところは分かりません。後から何を言っても取り返しはつかない。

子供にとって他者からの愛は確かに不可欠だけど、残念ながらそれで全てが解決するとも限らなくて。

そして、誰かを異常者やモンスターとみなして恐れて関わらないようにする、できれば目の前から消えて欲しいと願う、その恐怖からくる排除の心は、時に取り返しのつかない結果を生む。

 

だから、せめて誰もが「所詮人間である」ということから離れないこと。

分からなさから他者を簡単にあきらめて切り捨てないこと。

粘ること。

美佐江に対する後悔から寅子が得た教訓は、この分断の時代にとってのひとつの重要な命題だと思います。

身の回りにも、自分には理解できない誰かを簡単に「あの人異常」とレッテル貼りして関わらないようにして排除するようなことは普通にあるし、ルールを逆手に取って金や権力を手にする非倫理的な生き方が、まるで賢い生き方のように語られたりしている。

そんな今だからこそ。

 

そして、作品が描いてきたこと全てが、最終回の優未の生き方に結実しているように感じられました。

優未は、社会が要請してくる定型的な役割や生き方のどれとも戦わずスルーし、自分のやりたいことを自分なりのさじ加減と気ままさで選び、自分にとって心地良いバランスをその時々で模索しながら、マイペースに生きている。

「最高の育て方をしてもらったと思ってるよ」と優未は言っていました。

彼女の生き方は一見地味で平凡に見えて、社会圧や虚栄心に揺るがされない安定した自分軸と柔らかさを兼ね備えた自由な心に支えられています。

そんな心を育める子育ては、確かに最高ですね。

 

派手さはないが穏やかで心に余裕のある優未の生き方。

これほどの紆余曲折の末にたどり着いた「自分に優しく自分を大切に生きてね」だからこそ、胸に沁みました。

最終話のはるさんとの会話も、やっぱり泣いちゃいました。

「地獄はどう?」「最高!」「そう(にっこり)」。

私もこの地獄最高だったぜと笑顔で言って死んでいけたらと心から思っているし、自分の子供たちが自分の選んだ地獄が楽しくて悔いないって言ってくれたら、母としては本望です。

今のところ現実は、だいぶほど遠いのですが・・・とほほ。

私にとっての幸福は、何かを得たり達成したりすることによってではなく、調和の中に存在するのだということを改めて確信しています。

そのことを心に留めて、毎日出来るだけ朗らかにやっていきたいです。

 

今回はトラつば回ということでご容赦ください。

そしていつも以上に長くて、ほんとにごめんなさい!どうぞ読み流してください。

いやはや、いくらでも語れてしまうトラつば恐るべしですね。

次回はぜひ、別のお話いたしましょう。

急に寒くなりましたが、どうぞご自愛くださいね〜。

 

なお