夏が終わる前に(みずえ→なおさん)

なおさんへ

 

今年の夏は本当に暑くて、追い打ちかけるように体調悪く、ほとんど出かけられなかったのですが、なおさんはどうでしたか。

夏休みって、ラジオ体操や花火、プールや海、山や川など夏を盛り立てる要素が沢山あって、親はディレクションやプロデューサー役を引き受けなくちゃだし、大変だけれど、非日常の高揚感がありますね。

なおさんのお子さん兄妹が異国を旅するスナップを眩しい気持ちで拝見していました。

本当に「夏休み」そのもの、素敵な体験をしている臨場感にあやかれて、私も久しぶりに旅行のワクワク感を味わいました。写真をシェアしてくださって有難うございます!

夏の旅の話はまた、格別ですね。無事にご帰還されて良かったです。

 

今年の我が家は、息子は大学四年生で就活、娘は受験生で予備校通いと、夏を満喫する間がありませんでした。

この学生優位・売り手市場とされる就活市場で、暑い中スーツを着て出掛けてゆく姿を何度も見ましたが、息子は夏休みに入っても就職先が決まっておらず…親も何と声をかけて良いものかと逡巡していました。

息子は勉強はできるけれど、コミュニケーションに難ありな、典型的陰キャタイプです。

大手企業に就職、まで期待しないけれど、どこか安定した場所に就職はして欲しい…というヨコシマな気持ちがつい出てしまい、息子もジレンマでストレスが溜まって、親子でイライラする悪循環。

なんとかこのサイクルを断ち切り、良い関係に持っていきたくて悩んでいたところ、知り合いが大学の就職課で広報をしていたことを知り、早速コンタクトをとりました。

彼女、Kさんは、いわゆるFランクといわれる大学の広報をしていると聞きました。

少子化で受験生が減り、就職も有名大学の青田買いばかりが進む中、学生に親身になって就職活動を手助けし、就職した後も様子を気にかけてくれる優しい人です。

 

ごめんね、期待してた答えとは違うかもだけど、と、Kさんは前置きすると言いました。

「もう昔みたいな、そういう時代じゃないのよ。大手企業だっていつ、屋台骨崩れるかわからないし、せっかく確保した人材が流出しないよう必死よ。学生は好条件があれば入社3日目だって退社しちゃうしね。義理も人情もないわよ。

企業が学生に求める資質もね、大人しくて口答えせず、でも適度に気を配れて、あっさり辞めない粘り強さを持つ人」って、そんなの社畜じゃないか、とあまりに都合良すぎるのよ。でも皆んな従順なの。

就職面接って、結局どのくらい会社に貢献してくれる人材かって見極めなのよ。そんなアホみたいな会社に勤めさせるために、私たち子育てしてきたわけじゃないでしょ。

一番、企業がされたくないことって何かわかる?ノウハウ仕込んで育てて一人前になる頃に辞められることよ。

でも、今は終身雇用な時代じゃないから、転職当たり前でしょ。それでも一斉雇用をやめられないのは、ひとえに優秀な人材を一気に囲い込める機会だから。

だからね、そんなシステム、歯車の一つに選ばれなかったことを、若い人たちに後悔してほしくないの」

 

実は、Kさんは3月で退職されたとのことでした。

3時間話しただけでも、さまざまな葛藤が感じられて、初めて社会に出る若い人たちのサポートがいかに大変だったかが、おこがましいですが、私にも想像できるような気がしました。

 

そう言われると、息子が就職面接で通るはずがないことを嫌がおうにも自覚させられます。良くも悪くも、彼は正直すぎるのでした。

何がしかは働かなくちゃ困るけど、本当に困るような事態には、このままならならないのでは。

むしろ、罠から逃れられたうさぎのような気もして、親身な言葉をかけてくれたKさんにお礼を言って帰宅したのでした。

 

帰宅すると、専門学校のオープンキャンパスに行っていた娘が待っていました。

「私、やっぱり大学に行きたいな」

先日、散々大学のオープンキャンパスの不満を親子で言い合っていたのですが

「そうは言っても、やっぱり私、勉強したい。美術だけでなくて、語学とかメディア論とか、文学とか民俗学とか心理学とかにも興味ある。そうするとやっぱり大学かなって。

それに、専門学校の模擬授業を受けて思ったの。授業は面白かったのだけど、私は会社に勤めるために勉強するんじゃないしな、って」

 

そうか、そうだった。本当ですよね。

勉強することの意味に、効率やら対費用効果とか年収とか、どうして惑わされるようになってしまったのか。

 

なぜ勉強するのかと問われたら、生きてゆくためにつける知恵も勿論、必要ですが

知的好奇心の探究だって勿論、生きてゆくために必要なのですよね。

 

そんな簡単なことに気づかず、右往左往してみっともなかったと反省しきりですが、夏が終わる前に正気に戻れて良かったと一方では思っています。

 

先日、行われた「焚き火対話」のブログ、読みました。

良い対話が行われたようで、熱い火に照らされて一瞬吹き抜ける風の心地よさを、こちらまでも体感できました。ありがとうございます!

読みながら、AIの技術がいくら進歩しようが、ひとの生身の感情の強さに勝るものはないなと感じました。確かにAI技術の速さは凄まじいですが、誰もが圧倒的な映像、編集、音楽を操れるようになっても、その核にあるものが表現できなければ、綺麗なだけの映像は、今まで以上の速さで忘れてゆかれるでしょうね。

何を語りたいか、何を語れるか、を問われる時代がやってきている。

今までのように、うわべだけを均して、綺麗にまとめることもできるでしょうが、ひとの心を動かすのは、もっと生身の声なんですね。

私が心を揺さぶられる言葉って何だろう。

命を賭して届けたいものって何だろう。

 

いい歳して何を青臭いことを、と言われそうだけど

息子と娘の状況や言葉を鑑みるに

いい歳になった今だからこそ感じ取れるものがあると信じたいです。

だから、来月もし、焚き火対話が行われるようでしたら

参加して、なおさんの言葉を聞きたいです。

ちっぽけなここに集う人たちはきっと、そう思っているはず。

もしよければ、ここでも募集してみませんか。

 

暑い暑いと言いながらも、だいぶ涼しい風が吹くようになってきました。

夏の疲れが出てくる頃合いでもあります。

お身体お気をつけて、お過ごしくださいね。

ではまた。